2021年01月12日 2021年11月25日

デザイン論を語るのはダサい気がする私のデザイン論

「論ずるより、つくろうよ」デザイン論を見かけるたびにそんなことを思う。とはいえ、ものづくりに関わる人ならそれぞれ、自分の軸になる論理というか美学のようなものを持ち合わせているし、それを伝えることで、近しい感覚のクライアントやパートナーと出会う。本で見たような当たり障りないことを述べるなら、持論の一つや二つ持っていた方良い気がする。

なにより、デザイン論一つ持たない自分が恥ずかしかくなってきたので、少々考えてみることにした。

デザイナーという肩書き

前提として、わたしはデザイナーという肩書きにゾワゾワしてしまう。オシャレな人たちがイカしたものを作ってるんでしょ? 感が心底ツライ。UXデザイナーや、コミュニケーションデザイナーのような肩書きには憧れるけれど、「バズワード」感がまたまたツライ。何の仕事してるのって聞かれたら、答えられる自信がない。わたしの主戦場はWebの世界だから、ユーザーが参加して初めて完成する、現代美術のインタラクティブアートみたいな、「仕掛け人」のような仕事ができたらいいなと思う。

Webサイトは「さいしょに言葉のある世界」

わたしはデザインを「きっかけを作るもの」だと信じていた。
目を惹き、興味をもたせるトリガーになるものだと。
Webサイトが、スマホで閲覧されるようになり、コンテンツ重視に変わるまでは。

technology-history
そういえばhtmlの最小系はリンクを貼ることのできる文字だった

2010年代以降のWebサイトは、読みやすさを担保し、心地の良さを担保するエディトリアルデザイン※1が主役だ。

00年代に華やかなデザインで有名だった制作会社のWebサイトも、文字中心の機能的なデザインになった。

10年代におけるデザインは、Webサイトで売上を劇的に押し上げるものではないことを改めて知った。事業会社のディレクターとしてABテストを回すうちに、デザインのクオリティは、信頼性や世界観を担保するものではあるが、ひとこと文字を変えた方が劇的にCVR(コンバージョンレート)を伸ばすことも知った。

10年代のWebサイトはデザイン以外の要素が人の心を動かすのだと気づいてから、わたしは悲しかった。テクノロジーの過渡期に妊娠出産を経て一線を退いたことも、変化に気づけていなかったことも、気づいていても直視できなかった事実など、すべてが悲しくて、正直傷ついた。

でも今ならはっきり言える。

  • 成果を0→80まで押し上げるのは、Webサイトの言葉と導線。
  • デザインは80→それ以上に底上げするための手段だと。

だって、映画には美術が必要だけど、小説やラジオには必要ないでしょう?

※1エディトリアルデザイン:本や誌面など出版物のデザイン

クライアントは成果を求めている

クライアントはなぜ、制作物にお金を払うのか? それは、投資対効果を見込んでいるから。その前提がある以上は「クライアントの成果にコミットしたい」。

だからこそ、「金銭的に余裕のないフェーズで、デザインに投資する必要は無い」と答える。可読性と回遊性、ユーザビリティを担保できるなら、質の良いエディトリアルデザインすら後回しでいい。「商品写真」には気合を入れていただきたいけれど、華やかな額縁は必要ない。

成果へのコミットとデザイン性が共存できる場所は、10年代以降あまり残っていない。
日本の企業の割合を見れば火を見るよりも明らかな話。99.7%が中小企業なんだから。
ブランディングに力を入れるような、0.3%の企業のことは、大手制作会社やコンサルが取り合っていることだろう。

デザインは心を動かす手段の一つ

デザインを通してきっかけをくりたいのか、Webサイトをつくりたいのかという問いの末、わたしはSNSの世界に飛び込んだ。クリエイティブ要素がユーザー行動を後押しするタッチポイントは、Webサイトに辿り着く前なのだ。

SNSは、認知を広げるための遊び場であり、わたしの思い描く「きっかけをつくる」を実践する余地があるように思えたからだ。なにより直感的に、黎明期の香りがして面白そうだと感じた。

しかし、クリエイティブ×データドリブンという言葉を掘り下げていくうちに、ある事実にぶつかった。クリエイティブが成果に寄与することは間違いないが、その中でデザインが寄与しているかを判断することは難しい。あくまでも、一つの要素なのだ。

昨年末、アートディレクター石岡瑛子さんの展示を見に行った。展示中ずっと、何かの暗示みたいに石岡さんの声が流れていた。展示を見終わったあと、わたしの視野はどれだけ狭くなっていたんだろうと思った。

石岡瑛子さんのキャリアは、資生堂の広告部から始まり、映画や舞台の世界へと広がっていく。映画も舞台もデザイン一つで心を動かすわけではない。企画、脚本、撮影、照明、音響、美術、衣装、俳優、演技などのクリエイティブ要素のハーモニーで、心が動く。

根底にある望みは「人の気持ちを動かしたい」

子どもの頃、わたしは作家と呼ばれる人になりたかった。自身がいなくなってもなお、人の心を動かし続ける作品に憧れたから。
今のところ作家になる予定はないが、子どもとの時間で、ある程度欲求が満たされた気がしている。

それでも尚、「感情」に惹かれる。
だから、わたしにデザイン論があるとしたら、「クリエイティブは感情の呼び水」であり、「デザインは心を動かす手段の一つ」でしかない、ということ。

そもそも、デザインの語源は「設計」を指す言葉であり、美しい画面構成を指す言葉ではない。表現手段の一つだからこそ、メディアが変化を遂げれば、表現方法も変わって当然といえる。

2020年代は、さらなるスピードで生活も、メディアも、変わっていく10年になる。
この10年を「デザイナー」という肩書きに縛られながら走るなんてゴメンだ。
だから、2020年代は、「仕掛け人」みたいな自分になれたらいいな。

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