2021年02月03日 2021年11月25日

「自由」は責任を伴う

ナワバリはあったほうがいいよね。って話。

言論の自由には責任を伴う。
SNSは、暗黙の了解が危ういバランスで積まれている。ルールがないからこそ、私的制裁の餌食になる。

価値観の衝突は根源的な問題だ。コミュニティが有る限り、必ず起こる。

人が集まる場には、文脈レベルのタブーがあるが、文脈(コンテクスト)を読まない人や、読めない人(子どもなど)がおり、価値観と価値観がぶつかりあう。

戦時中の日本で、公の場で戦争に疑問を持つ発言をしたならば、誰かが通報して特高に捕らえられたことだろう。

20年代の世界では、誰もが発信する権利を得たことで、すぐに炎上ようになった。結果、物理的に刺されなくとも、社会的に、メンタル的に死ぬ。


平和のためにクラスタを絞る

人をカルチャーごとにわけることは、生きる上で必要な措置だと言える。クラスタを絞ることである程度の衝突を避けることができるからだ。

例えば、子どもの騒音問題がニュースになることがあるが、ファミリー向けの街という特性(ブランディング)を持たせ、住民のクラスタを絞ることで、子どもがたくさんいる事を許容できる価値観の人たちが集まり、住人たちの安全と平和を維持できる。

ペット可のマンションも、クラスタを上手く絞ってると思う。ペットを大切にしている人は、他の住人のペットにも優しくするに違いない。

自由は、諸刃の剣

とはいえ、そのような括り方を良しとしない人たちもいるだろう。

前述の例でいえば、「ファミリーは都心に住んではいけないのか?」という声が上がってきそうだ。もちろん都心に住むことも自由だ。ただし、同じマンションに昼夜逆転した生活をしている方が住んでいて、子どもがうるさいと言われる確率が上がる。

SNSの中で特に拡散性の高さを誇るTwitterでは、ママ・パパ垢の対立や、違う環境・条件を持った人たちが対立する様をよく見かける。企業主導で企画した「男性向けイラストレーターを起用した施策」が、女性の目に触れて炎上したケースもあった。

見ないでよかった価値観を目にしたことで、不快のトリガーが引かれ、脊髄反射で反論する。荒れている様がさらに拡散され、目にしたことで負の感情を抱いてしまうこともある。

この様なケースに巻き込まれた人たちは、少なくとも心に傷をおったのではないか。

ハッシュタグで繋がるInstagramが平和な理由は、クラスタで絞られているからだ。

様々な価値観に触れることができることは魅力的だが、心の安全性と引き換えにしてまで、手に入れたいものなのだろうか。

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