娘と過ごした1ヶ月

1ヶ月もの間四六時中娘と過ごしたのは……正直、生後3ヶ月以来、7年ぶりのことだと思う。
当時わたしはフリーランスのデザイナーとして働いていて、妊娠出産で仕事がなくなるのではないかと、それはそれは気が気でなかった。
緊急帝王切開で出産したその数日後には病院のベッドで当時使っていたスマホから、お客様のメディアの更新作業を行ったし、1週間もしたら細々した仕事から再開していた記憶がある。
とにかくあの頃は焦っていて、娘は生後4ヶ月で保育ママさんに預けることになった。
それ以来、娘と一緒にいる時間は、どんどん減っていったと思う。
一番長く一緒に過ごしたのは、付き添い入院した2週間かな? 不安で、いろんな意味で辛い2週間だった。
この記事でわかること
おこもり生活が始まるまで
1月20日ごろ
なんやら新しいウイルスが流行っているぞ。という話を聞きつけた段階では、まだまだフィクション感覚で「(ダスティン・ホフマン主演の)アウトブレイクが見たいな〜」だなんて悠長なことを思っていた。
娘は山P主演の「インハンド」というドラマが大好きで何度も見ており、衛生関係に関しては理解が早かった。ドラマもいいもんですね笑。
スーパースプレッダー、新型エボラ出血熱などの話があった
1月30日
Kバレエ「白鳥の湖」を渋谷オーチャードホールまで見にいった。
渋谷は人が多く、海外旅行者も多いので、正直ウイルスが気になり、娘と足早に駆け抜けた。
観劇中、マスクをするようにお願いしても聞かない娘に、腹を立てていたこと。薬局がものすごく混んでいて、帰りみちにおやつを買ってあげられなかったことを思い出す。コロナウイルスの存在を、すこしばかり身近に感じるようになってきた。
終幕後、熊川哲也が登場し、王子役の山本雅也さんがプリンシパルへの昇格するとの発表があった。
それから数日は、美しい世界を堪能したことでご機嫌だった。
多分これが最後の楽しかった話。
2月前半
娘の小学校では「インフルエンザ」が大流行し、学級閉鎖になった……。
娘は健康そのものだったのだけど、一日中お留守番させるわけにもいかないので、毎日前残業し、午後一で帰宅する生活。
会社員になる前は、娘が病気になると、ベッドの上で仕事をしながら看病してたなあと懐かしく思う。たいてい自分も感染して酷いことになったけど、どっちが良かったんだろう?
2月後半
学童保育は保育園よりも環境が悪い。ケンカ、けが、いじめなどのトラブルは、たいてい学童保育で起きる。去年インフルエンザをもらってきたのも、教室ではなく学童保育だった。
というわけで、自主的に学童保育のお休みを決めた。喘息もちで、肺炎で入院したことがあるし、警戒するに越したことはないでしょ?
授業が終わると娘から頻繁に電話がかかってきて、とても困っていたことを思い出す。
2月23日
不況の足音を感じる悲しい出来事が起きた。わたしは自主時差出勤を行うも、6時台後半の電車ですでに満員だった。
とりあえず、桜の蜜を吸うメジロちゃんに癒されていた。春です。
2月28日
全国の小学校の、一斉休校が決まった。
軽いノリでツイートしたけど、頭の中では有給を使い切って退職するイメージしか湧かなかった。土壇場で、特例のリモート許可がおり、生き延び(涙)。
3月1日
娘の誕生日。
毎年おばあちゃんも一緒にお祝いして、みんなで笑いながら記念写真を撮っていたのに、今年は2人だけのお祝いになった。
月の後半に誕生日祝いで旅行に行こうと計画していたけど、すべて白紙に戻した。
そしてここから、娘と四六時中一緒にすごしています。
娘とのおこもり生活
おこもり生活がはじまり、なんとなく日記を書きたくなったわたしは、フリーランス時代のドメインで日記を始めた。そう、この日記です。
noteを使っても良かったんだけど、そこまでプッシュ通知したいことでもなかったので、noteはnoteで、こちらはこちらで、個人よりで自由に書き連ねようと思った。
小学校からは、毎日メールマガジンが届くようになった。
先生方は小学校のサイトにブログを書き、プリントをアップしてくださっていた。
校長先生に至っては、毎日学校だよりをアップしていた。
おこもり生活をはじめて、普段は見ることのない娘の姿を垣間見ることができるようになった。通勤時間がない分、ゆとりがあったんです。
また、業務を行う上ではビックリするほど、娘がそばにいる影響は出なかった。
いまから会議に入るから静かにしててね。といえば大人しく遊んでいるし、まだ仕事中だからね、といえば大人しく遊んでいる。
そう、いつまでも遊んでいる……。
ああ、そういえば、フリーランス時代……保育園お迎えのあとも終わらない仕事をしていて、その間、野放しにしてたんだっけ……? ということを思い出した。しかしあの頃は、激しい自己承認欲求により、仕事は捗らないし、早く寝てくれ〜〜!! と日々イライラしていた記憶があった。
成長したんだよね。
「学校に行かなくてもいいの? お友だちと遊ばなくても大丈夫?」と聞くと、お友だちと遊ばない方が楽しい。好きなことたくさんできるし。と言っていた。
最近の彼女は、ワンダーボックスを所定時間まで遊んだら、Viscuitをしているか、バレエの練習をしているかの二択。
親目線では、「頼む、宿題をしてくれ!!!」と思うんだけど、まあ毎日がパソコン教室ってことだと思えばいいのかな……? 日々葛藤です。
まあ、学んでほしいことは、自分で調べること。粘り強く取り組むことだから、良いとします!

転ばぬ先の杖
通常の病気ですら、付き添い入院できない病院もある。病院ではひとりになるんだ。
感染症の場合、人知れず亡くなり、最後に言葉を交わすこともできない。事故よりは猶予がある。だけど、それでも「突然」に訪れる。
願わくば、孫に囲まれあたたかな暖炉の前でリクライニングチェアに揺られながらうとうとしていたら旅立っていた……的なエンディングを希望しているわけで、電源が落ちたようなさよならも、後味の悪い映画のようなお別れも、望んでいない。
価値観は人それぞれだと思うけど、わたしの方針は基本的に「生き延びたものが勝ち」で、戦略的撤退は勝ちだと思っています。生きていれば何度でもやり直しが効くんです。
だから、もしですよ? 一斉休校が解除されたとしても……病床数に余裕が出て、マスクやアルコールなど身を守るための手段がないなら、小学校は休ませます。感染症は、全員が同じレベルの意識で対策しない限り、必ず流行ります。
でなければ、インフルエンザで学級閉鎖しないでしょ……?
本音を言えばさっさとオンライン授業導入してくれ!! って感じですが、勉強だけなら後々取り返しがつくと思いますしね……(本人にやる気さえあれば)。
何事もなく終わって、笑い事にしたいものです。
さて、あんまり悲観的なことを書いてもしかたないので、ちょっとポジティブなことを記録しておきます。
娘と1ヶ月間一緒にいたことで、娘のことがよくわかるようになりました。コミュニケーションが不足した時に、ネジくれた反応をしがちな子なのですが、衝突しようと勉強のことで叱る回数が増えようと、信頼貯金が増えた感覚があります。
残業する日もあるのですが、すぐそばにいるので心配せずに仕事することができることも、ポイント高いなあと思います。まあ、正直娘には迷惑をかけてるんだろうし、娘の性格に依存してる部分は大きいけど、わたし達の関係は良好です。
いつか、「暖かい春の日に、家に篭っていたことがあったね」って、笑いあえる日が来ますように。